2011年10月18日火曜日

子供の成長のコト

私の息子は、今、幼稚園の年少組。11月生まれなので、少し、生まれは遅めではあるが、成長のスピードは、他の子よりも遅いようだ。
唯一早かったのは、話すこと。
それ以外の
・歩き始める
・身体能力
・文字、数字が読める
・服のボタンができる。

どれをとっても、遅いようだ。

まあ、どれをとっても、いつかはできることばかり。と思っているので、社会、他人に迷惑がかからないことは(洋服のボタンは幼稚園で迷惑がかかるのでできないといけないけど)、遅くてもいいかとは思っている。
そもそも、私自身は、田舎で生まれ育ち、競争社会ではなかった。習い事は皆無。小学校の時に、少し、そろばん教室に通ったくらいだ。
だから、息子の友人が習い事をしていると聞くと、へー幼稚園児なのに凄いな、と思ってしまう。ただ、その私の考えが息子の成長を遅らせているのだろうか、とも思ってくる。

ま、

息子と話していると、一生懸命話す息子が愛らしい。

自分が高校生くらいの時に、親に冗談で言ったことがある。
「俺がさー、生まれたときには、健康であればそれでイイと思ったやろ? だから、俺は健康なんやで、まあ、ええやんかー」と。
親は苦笑いだったけど。

自分が、いつまでも、そういう目線で息子と接していけたらいいな。

確かに、社会は、競争社会ではある。自分なりに、生き抜く術は教えたいと思っているけど、結果として競争に勝ったり、負けたりするのであり、勝ために何かをするのではない。幸せな生活を送るために何かをしていくのだ。

と伝えられたらいいな。

最近、自分でも思うのは、高度成長期時代、例えば、車は、「カローラ、コロナ、マークツー、クラウン」といったように、誰にでも明確な幸せの階段があった時代は、その階段を登っていくことが、幸せの尺度であり、大学名や、会社名で幸せを感じることができたことも事実だと思う。

しかし、今は、「自分の生き方、自分が幸せだと思うこと」を実行している人が幸せであり、社会通念上の幸せ感とか多種多様すぎて、尺度なんてようわからん時代だと思う。

自分もそうだし、息子にも、自分にとっての幸せはなんなのか(その多くは、いきつくところは家族の幸せとか、そういうことになるのだけど)を考え、そういう生活を送れるように育てたいし、自分もそうならなくては、と思う。